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ピルロたん応援ブログです!
by sakasakasakaa
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カテゴリ:★まとめピルロん( 2 )

★まとめピルロん・改Ⅱ★ 前編

2007年7月に更新したまとめピルロんデスが、08/09シーズンも終盤を迎え(2009年5月19日現在)、また情報も増えマシタので、新情報を増やし再々更新しまシタです!
今夏はコンフェデ杯もありマスし、何かのきっかけでピルロたんを好きになってくれた方がピルロたんをより深く知るためにお役に立てばいいなぁ~と思いマんスです(^ω^*)

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◆ピルロたん年表◆
1979年5月19日生まれ。現在176cm 68Kg
イタリア北部のロンバルディア州Bresciaの中心部から南に10km程下った、Fleroに産まれマシタ。
鉄鋼業が盛んなブレシアらしく長閑なフレーロの町の左には工業地帯が広がってイマス。
072.gifグーグルマップでピルロたんの故郷を見る!

家族はLuigiパパ、Liviaママ、3歳年上のIvan兄たんと12歳~10歳年下の妹Silviaちゃんデス。
妹のSilviaちゃんは1番のピルロファン♪
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ワールドサッカーグラフィック2007年1月号でも取り上げられていまシタが、Luigiパパはブレシアを拠点とした鉄工会社の社長さんデス。ちなみにアゴは割れてマセン(笑)
ピルロたんの家は祖父の代からすでに鉄鋼業を営んでいたらしく、Luigiパパはサッカー選手になりたかったけど、家業を継ぐために諦めなければならなかったそうデス。
ピルロたんは、そんなお父さんの夢を継いで頑張っているのデスね。

◆Luigiパパとその会社のデカさ、年商などについての余計な詮索◆
スーパ-パパだよ~ん
http://sakasakasn.exblog.jp/7276108/
本当はサッカー選手になりたかった52億円の男
http://sakasakasn.exblog.jp/6800501/
広がる~未来に~夢があふれてるぅ~?
http://sakasakasn.exblog.jp/11595077/



兄lvanさんはセリエC2のサッカーチームでのプレー経験もあり、ピルロたんの話によれば、「兄のほうが自分よりも優れたサッカー選手だった」
lvanさんは2006年現在、Bargheにあるピルロ家の会社の内のひとつに勤務なさっているよーデス。
AIB(ブレシア工業組合)では地区統括担当者も務めておられたヨーデル(2006年時点)
お兄~ちゃん♪ ふふっ、呼んでみたかっただけ(^ω^)←キモ!

ブレシアは昔から近所に鉄鉱山があり、それを活かした鉄鋼製品、武器防具・銃などの生産を地場産業としてきたようで、今でも武器の見本市が開催されているそーデス。
その所以からブレシアは"イタリアの雌ライオン"と呼ばれており、"ブレシアの鷹"と呼ばれる有名な要塞もあり、今は博物館になってイマス。
赤い屋根のお家がたくさん並ぶ美しい街デスが、なかなかイケイケな街なんデスねぇ(^ω^ )
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フレーロは、優しいカスタード色のお家が立ち並ぶ閑静な住宅街のようデス。
当然コンビニとかは無いデス。皆さん町中でトイレに行きたくなったらどうしてるんでしょーねぇ!
のぐそ・・・?(←ワタクシ頻尿の気があるため本当に真剣デス)
クリーム色の教会があるFleroの町。電車の駅はないので、行くなら車かバスだそうデス。
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◆少年時代のピルロたんがW杯を夢見たFlero広場を嗅ぎまわった記事◆
もっと知ろう、ピルロが生まれた街 ~Flero~
http://sakasakasn.exblog.jp/8682495/
道路なの?広場なの?Flero広場の謎に迫ろう
http://sakasakasn.exblog.jp/8687924/



◆ボールとの出会い・少年時代◆
初めてボールに触れたのは4歳の頃、ビアレッジョの浜辺で、6歳の時にはプロサッカー選手を志したとのコトデス。その後、きわめてサッカー馬鹿な人生を送り、当然のように学校での成績はあまり良くなかったらしい(笑)
美しいビアレッジョの浜辺!
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子供の頃のピルロたんは夜、ベッドの中でも疲れて眠るまでボールトレーニングをしていまシタ。ロベルト・バッジョがそうであったように、古くなった靴下を丸めて作ったボールでいつでもどこでも練習していたようデス。
少年時代は幼馴染のロベルト・バローニオとともに、近所の林の中で遠くの木と木の間を狙ってボールを蹴り、キックの精度を高めていたようデス。
たくさん努力してきたんデスねえ!

Luigiパパは息子たちに会社を継ぐことを強要しませんデシタが、ある日ピルロたんがバッジョの試合を見るために学校の授業をサボッたのがバレた時は非常に怒ったらしく、しばらくピルロたんをサッカーから遠ざけるという罰を与えマシタ。
ピルロたんはその時お父さんと対立し親戚の家に家出したのデスが、親戚の人の良きはからいによって、お父さんと仲直りするコトができたといいマス。
しかし今ピルロたんはそのコトについてはあまり触れたがらないようデス。
ピルロたんは家族の中でも、最もお父さんを尊敬しているみたいデスね。
そのお父さんの教えは"私は絶えず新しい進歩を得ます"

◆両親が息子アンドレアについて深く語ったインタビュー◆
Andrea Pirlo その生涯の記録映画。ピルロパパLuigiさんの感動的なお話。
http://sakasakasn.exblog.jp/8747437/

ピルロママLiviaさんが子供時代のピルロたんを振り返った1998年のインタビュー(伊語)
http://archiviostorico.gazzetta.it/1998/gennaio/25/Pirlo_tesoro_del_Brescia_ga_0_980125891



◆青地に白V!ブレシア時代◆
ピルロたんが11歳の時、ブレシアのコリオーニ会長が聞きました。
「お前はそんなに周りが言うほどの逸材なのか?」
それに対してピルロたんはこう答えマシタ。
「必ず世界一の選手になります!」
他の子供たちよりもひとまわり体が小さかったピルロたん。。
そして2006W杯で優勝した時、コリオーニ会長自らが電話をかけてきて言ったそうです。
本当に嬉しそうに、「お前のハッタリ通りになったな」と。
写真は、2000年ブレシア入団会見時のピルロたんとコリオーニ会長デス。
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ピルロたんがブレシアで初めてもらったお給料7万5千ユーロは、全額両親に渡したんだそーデス。パパとママはとても喜んでいたというコトでし。親孝行むしゅこ!
ピルロたんのセリエAデビューはとてつもなく早くて、1995年の5月21日、16歳と2日デス。
16歳というのはイタリアのサッカー少年にとって高校の最終学年でもあり、
"プロを目指すかあきらめるか"の選択の年なのだそう。
その年にセリエAデビューしてしまったワケですから、すごいデスね。

◆コチラにデビュー当時の様子が書かれてイマス◆
「ピルロ、成熟の時」
http://www.1101.com/francorossi/2004-04-05.html

「当時のアンドレアは内気な少年でした。
そのデビュー戦の後のインタビューでは、
RAI(イタリアで最も重要なテレビ局)のカメラは、
まるで詮索するように彼を追いました。
急に大人の世界に入り込んだこの少年の、
まだあどけない顔に浮かぶ感動のあれこれを
くまなく映しだすべく。

その時のアンドレアの
恥ずかしがっているような表情を
僕はとてもよく覚えています。
そう、まるで、こっそりと盗んだマーマレードの瓶を
手にしているところを、
親に見つかってしまったという風な、
そんな表情でインタビューに応えていました。
ほっぺたは緊張のためか赤くなり、
実際の年令よりもさらに幼くさえ見えました。
もちろん、すらすらとした受け答えなんてできません。
感動と興奮とでつっかえながら、
こんなふうに、話しはじめました。」
 
はぁ~んショタにはタマランタマランタクラマカン
 

◆もしプロになれなかったら・・・◆
もしもプロのサッカー選手になれなかったら、ビジネス系の通訳(!)になろうと思っていたらしいデス。(ピルロたんが通訳!通訳!ブッフゥー♪って笑っちゃいけマセンね)
「(もしプロになれなかったら)私は通訳になったでしょう。私は、外国語で通信のビジネス専門家の卒業証書を持っています。私は、私が研究と私の情熱を旅行のために利用するのを許した職業を選びました」

また、プロキャリアを歩み始めたばかりの頃は会計の勉強もしていたそうです。でもあんまりはかどってはいなかったんだとか。けっこう勉強してるんデスねえ。
しかしやっぱり1番はサッカーデスから、こんな風にも答えておりマスw 変わってないデスね!
━もしサッカー選手になっていなかったら?(2003年時)
「ううーーーん!?多分、サッカー選手だろう(??)サッカー中心で人生が始まったから、他のことは全く考えなかった。」
━あなたがフットボーラーではなかったら何をしていたでしょう?(2008年時)
「フットボーラー」



◆ヌーメロ・ヴェントゥーノに至るまで~背番号いろいろ◆
<クラブ>
ブレシア・・・5番、15番(下部組織では10番)
レッジーナ・・・30番
インテル・・・11番、21番
ミラン・・・ずっと21番
<アズーリ>
優勝したU-21選手権、2002年10月のA代表とアテネ五輪のオーバーエイジ・・・10番
EURO2004、優勝した2006ドイツW杯・・・21番
その他U-21では18番を、ドイツW杯予選では8番を付けたことも有り。

ブレシアの5番については、その時同じくブレシアでプレーしていたバッジョが10番だったため、
「ああ、この人が10番だから僕は半分の5番なんだと妙に納得した」と語っています。
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また、21番はピルロがミランに加入した年でもあり、結婚記念日でもあり、
Luigiパパの誕生日でもありマス。人生21づくめの男。


◆バッジョ信者◆
少年の頃から「大好きなインテルでロベルト・バッジョみたいな選手になる」のが夢だった。バッジョはピルロにとって師であり『神聖な存在』である。ちなみにロベルト・バッジョがセリエC1のビチェンツァに移籍し、プロとしてのキャリアが始まった1979年、ピルロが誕生している。また、ジャンニ・リヴェラが現役を引退したのもこの年である。
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バッジョ自身もピルロのコトは大変気に入ってくれていたようデス。
ブレシア対ボローニャ、今思えばこの試合には後半開始からピルロが出ていた。 そしてバッジョは自分のユニフォームを彼に与え、ピルロはそれを着て、テレビの前でワールドカップのイタリア代表を応援することになるのだった。

━ピルロがあいさつに来ました。あなたの後継者ですか?
「ぼくは彼に、いつも言っていた。アンドレアは明らかにすでに示している。 彼の素晴らしさと特徴があることを。彼とぼくは、愛情と信頼で結ばれている。ひさしぶりに会えて、とても満足だ。アンドレアはただ、徹底的に彼を信頼してくれる監督と、続けてプレーする機会、経験から学ぶことが必要なだけだ。 疑いなく、ピルロはぼくの後継者になる資質をすべてもっている。」

「いい選手はたくさんいるけれど、最後には、自分の代表での後継者はピルロであることを期待しているよ。だって彼はチームメートだから。」
(1998/12/15のニュースより)

━現在、イタリア国内で最も注目している選手は誰になるのでしょうか?
「多くの若い才能が育っているよね。特にユベントスの何人かには良い印象を抱いている。ただ、より完成度の高い選手という意味ではピルロだ。ポジションは変えても、質は変わらない。とにかく自然に、すべらかにゲームを組み立てる才能は本物だよ。5mほどのシンプルなパスにも、彼の高い技術が見て取れる。その独自性や感性は素晴らしいよね」
(2007/1/18のWSMより)

━ロビーは、ロベルト・ドナドーニのアッズーリに期待しているんだとか。
「いい線いってると思うよ。キープレイヤーはピルロだね。全ては彼に始まり、彼に終わる」
(2008/4/21のlivedoorsportsより)



◆あこがれいろいろ◆
少年時代の憧れその1はローター・マテウス
(88-92シーズンにインテルに在籍したドイツ人リベロ。88-89シーズンにインテルにスクデットを齎した)。ピルロはテレビの前で、スタジアムで一生懸命にマテウスのプレーを研究し、部屋中マテウスのポスターで一杯だったらしい。
マテウスの他には、ジーコ、プラティニ、ファルカンなどもファンだったようデス。


◆インタァ~◆
子供の頃からインテリスタだったピルロ。念願かなって1998-1999シーズンにインテルに移籍するも格下チームへのレンタル続き。ネラッズーロの一員として活躍する機会はあまりにも少なかった。そしてとうとう2001-2002シーズンに、ミランへと放出されてしまう。
よほどこのインテルの仕打ちを恨んでいたのだろうか、このシーズン最終節にインテルがスクデットを逃したと分かった時、ミランのロッカールームでピルロは一人大喜びしていたそうだ。
この頃からすでに黒ピルロの片鱗を見せていたんデスなw

モララーことインテルのマッシモ・モラッティ会長は、2008年現在こう語ってイマス。
モラッティ会長「ピルロ売却はキャリア最大の過ち」
インテルのマッシモ・モラッティ会長が、クラブ創立100周年を祝うパーティーの席で、
「アンドレア・ピルロをライバルのACミランに売ったのはキャリア最大の過ちだった」と嘆いた。
「アンドレア・ピルロ売却は本当に酷い間違いだった。絶対にピルロをミランに渡さないようにするのが私の責務だったのに・・・。ピルロは大好きな選手で、私自身が彼の獲得を望んだ。ピルロのことを本当に気にかけていたのに、なぜかあのときは判断を誤ってしまった」

オヒョヒョヒョヒョヒョヒョヒョッ!!!!
ア~ッヒョヒョヒョヒョヒョヒョッ!!!!
それみたことか!!!そぉぉおれみたことか!!!!



◆あだ名・表記◆
「ジェニエット」・・・小さな天才、クールな天才。
「ネクストバッジョ」・・・バッジョはピルロを自らの後継者として認めている。
「ジャンニ・リヴェラの再来」・・・ジジ・シモーニがインテルの監督だった頃、こう例えたとも。
「マエストロ」・・・指揮者
「Campanellino」・・・呼び鈴、妖精
「Trilly」・・・ティンカーベル
「L'architetto」 ・・・建築家
「Bollicine」・・・ワインの一種
"Pirlo"には独楽という意味もあり、Trillyは「Trilly4ever」(Trillyフォーエバー)として、外国のピルロファンの方がハンドルネームとして使っているのを見かけて幸せな気分になったり(^ω^*)
また、中国語表記では「皮尔洛」、愛称は「小皮(シャオピィ)」
ファンサイトなどでは、"小皮"で書かれているコトの方が多いかもしれマセンね。

で、ブレシア地方には"Pirlo"と言う名前の食前用カクテルがありマス。
◆皆さんも簡単に作れるカクテル"Il Pirlo"◆
極上のぴ萌えワインを求めて ~Il Pirlo、世界の旅~
http://sakasakasn.exblog.jp/8652666/

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また、激しいプレイスタイルのミッドフィルダーと比較するにあたり、「美女と野獣」と評されるコトもありマス(笑)もちろん"美女"がピルロたん。"野獣"には、ガットゥーゾやダービッツの名前が・・・。や、やぢゅう~
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◆ア~イツはアイツは可愛い~年下の男の子!◆
2歳年上の奥さんSamantha Deborah(サマンサ・デボラ)さんとは2001年6月21日に結婚し、ハネムーンはセイシェル島へ行ったとのコトです。フヒヒヒ・・・
姐さん女房とさぞ濃厚な夜を過ごしたでのあろう!(笑)
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この新婚旅行中にミランへの移籍が決まりましたが、「ミランは新たな挑戦の場としてふさわしい」と顔に似合わず気丈なコメントをしたそうデス。
結婚後はミラネッロの近所のGallarateという街に居住。家族でミラノをプラプラしている所をしょちゅうolycomなどに撮られていマス(笑)

072.gifサンシーロからすぐそばのガッララーテ、グーグルストリートビューで歩けちゃいます!

ピルロたんは16歳の時、地元のバールでデボラさんと出会いマシタ。
22歳の時のインタビューによると、付き合った女性はデボラさんだけというコトです。ムふふふ
金髪の女性が好き。胸より腰が好き(ほんとか~?)
でも確かにデボラさんはスレンダーな女性で、足がリカちゃん人形のように美しいデス。うへへへ
なのでワタクシは密かに"ピルロ足フェチ説"を疑っておりマスw
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ちなみにデボラさんはビキニラインに蝶のセクシータトゥーがあり、ピルロたんは左手の薬指にラブタトゥーを掘ってイマス。ラブラブですな~(笑)
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お子さんは2003年6月1日23時53分、ちょっとシェフチェンコに似てなくもない長男Niccolo(ニコロ)君が誕生しまシタ。ピルロたんは、家で初めてニコロ君を抱いた時、生命を感じ泣いたそうデス。((A(^ω^゜)゜。
そして2006年11月21日、長女のAngela(アンジェラ)ちゃんが誕生しまシタ。

◆「僕の小さな天使」◆
アンジェラちゃん誕生をピルロ本人が記したSkyのブログと、
ファンの方々が寄せたお祝いの言葉はコチラ(伊語)
ピルロの日記6 21/11/2006, 16:13
http://sakasakasn.exblog.jp/5069991/

元々Skyの企画ページだったので、元のページはもう消去されてしまってイマス。
保存しておいて良かったと心から思う瞬間!
ちなみにコチラは3匹亀の図。上からアンジェラちゃん、年下夫、ニコロくん。
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◆おともだち◆
バローニオ(現ブレシアMF)とは出身地が生まれた地区まで同じで、8歳の時からの友人。親同士も仲が良く、本人達も兄弟のように仲が良いらしい。
バローニオは非常に不遇なキャリアを歩んでおり、ピルロはミランにおける自身のバックアッパー問題について「バローニオなんていいと思うよ。彼はクオリティが高いし、僕らは息も合うし」などとおねだりしたコトもありマシタが、やはり獲得するまでには至らなかったようデスね。。

◆カルチョ2002「ピルロ・バローニオ、兄弟を越えた絆」◆
http://sakasakasn.exblog.jp/10168702/


ニコラ・ヴェントラ(現トリノFW・哀愁のベンチウォーマー→最近はついにベンチ外)とも仲が良く、インテル在籍時には3ヶ月ほど部屋をシェアして一緒に住んでいたらしい。
ピルロ曰く「ニコラって本当にだらしないんだ。整理整頓なんて感覚は無いんだろうね。」
→ ※別居(?)後のヴェントラの証言
「こいつのアパートに行くとビックリするよ。台所は食べ残しで一杯だし、部屋には服が脱ぎ捨ててあるし・・・」
どちらが真実を語っているのかは本人達しか知らない。なおヴェントラは父親が 弁護士、本人も理系高校を優秀な成績で卒業し大学は法学部へ進んだスーパーエリートなFWである。

なお、その後ヴェントラは2006年のCalcio2002インタビューにて、「アンドレアもいろいろ苦労したんだよ~」みたいなコトを語っていマス。ついでに、ミランがFWを探していた2007年、ピルロはヴェントラをミランに誘っていたらしい(笑)(byスカパー)

相棒のガットゥーゾと初めてコンビを組んだのは10代の頃の代表デス。
EURO2004では同部屋デシタ。
ピルロはガットゥーゾをよくからかって遊んでるみたいデスが、ガッちゃんも負けてマセン(笑)
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◆Champions日本版が掲載した「ガットゥ料理長×ピルロ給仕長」の萌え記事◆
UEFA公認カップルの誕生
http://sakasakasn.exblog.jp/5965836/



             ***

010.gif★まとめピルロん・改Ⅱ★ 後編↓に続きマス
http://sakasakasn.exblog.jp/8886322/

by sakasakasakaa | 2007-07-23 17:32 | ★まとめピルロん

★まとめピルロん・改Ⅱ★ 後編

010.gif~★まとめピルロん・改Ⅱ★ 前編(→コチラ)の続きデス~

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◆大親友「サンドロ」◆
チームメイトのアレッサンドロ・ネスタとは「大親友」(通称:ネスピル)
"世界一エレガントなディフェンダー"との同棲歴は7年目で、ミラネッロだけでは飽きたらずイタリア代表でもクラブW杯でも当然のように同部屋でイチャイチャ。
ネスタとピルロは、もはや何の躊躇いもなく心の内側と言う名のポコチンを見せ合えるオープンな仲なのでしょう。こういった親密な関係がチームの中にあるって、とっても大切デスよねモヒヒヒ(笑)
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カメラの前では無口なピルロたんデスが、ミラネッロの中ではジョーク大好きイタズラっ子に変身するとゆ~のはもはや有名デス(笑)
コスタクルタ長老によると、今まで出会った選手の中で、最も面白いコミカルな奴はピルロなんだそうデス。ロッカールームでは、ピルロとネスタのふたりが中心となりイタズラをしているんだとか。部屋では、「すぎるほどに」喋るピルロたんに対し、どちらかといえばネスタが聞き役なんだそーデス。
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ふたりはプレイステーションやパソコンが大好き。ネスタとピルロがプレステ対戦した場合、ピルロは当初「ネスタが勝つことが多いよ」と答えていまシタが、最近は、ピルロが勝つコトも増えてきたらしい・・・。また、ピルロが勝つと、ネスタは自分が勝つまでピルロを寝かせないんだとかw
(以上、ガゼッタでのピルロ本人談)負けず嫌いなふたりデス。
そして08/09シーズンの始め、ネスタは負傷し、リハビリを余儀なくされてしまいました。
ピルロは大親友の回復と帰りを、ずっと待っています。
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◆とにかくカルロに縁がある◆
ピルロたんはふたりのカルロにお世話になってイマス。
1人目のカルロはカルロ・マッツォーネ監督
ブレシア時代、バッジョとピルロをピッチで両立させるため、ピルロのレジスタへのコンバートの骨組みを提案した人デス。ちなみにこのレジスタへのコンバート案はバッジョの助言もあったと言います。ついでに、ユース時代は自分を重用してくれたのにインテルに加入した途端手のひらを返したように全く起用してくれなくなったタルデッリ監督については未だに恨んでいるんだそうな(笑)

◆サッカークリニックでピルロが語った、コンバートとプレイの真髄◆
http://sakasakasn.exblog.jp/11406318/


ふたりめのカルロはもちろんAC milanの現監督カルロ・アンチェロッティ監督デス。
PKを蹴らせるためだけに途中交代でピルロを投入したり、FKをシェバに奪われそうになると「あんどれああ!!あんどれああ!!」と絶叫してフォローしてみたり、日本のサッカー雑誌でピルロを褒めちぎる連載をしてみたり、ピルロのFK練習の際、ジュニーニョビデオの鑑賞から実技までじっくり付き合ってみちゃったり、ピルロを抱き寄せながらほっぺに濃厚なbacioをしてみちゃったり、ピルロが色んな意味で大変お世話になっている監督です。
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◆ぢもと人気◆
故郷のブレシアでは、ファンの方々は未だピルロたんを大切に思ってくれているようデス。
コチラは、「ブレシアのピルロ頑張れ」の横断幕を作り、ワールドカップ応援に駆け付けたおっさんら(笑)
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そしてコチラが、ワールドカップ優勝後のピルロを称える横断幕デス。
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また、99年の夏レンタルされただけにも関わらず、レッジーナでのピルロ人気は高く、今も入場の時などは大歓声が上がるんだそうデス!
レンタル期間中のほんの短い間に、バローニオとともに観客を魅了するプレイを連発したピルロは、未だレッジーナのスタジアム通路に写真が飾られておりマス。
06/07シーズン、キャプテンマークを巻いて出場した時も歓声がすごかったのだとか(笑)

そして地元フレーロには、W杯優勝を記念した「アンドレアピルロスポーツセンター」がありマス…(笑)
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Fleroに行った暁には、ココで記念撮影はキマリ!!!
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◆ピルロの好きなもの、好きなこと◆
愛猫家。
2001年頃から趣味としてゴルフをはじめたらしい。
(オヤジ街道一直線。)ちなみに結婚前の趣味は音楽鑑賞とショッピング、テニス。
特にテニスの腕前には自信があるようだ。
好きな音楽はヒップホップ(ピルロたんがヒップホップ!ヒップホップ!)チェケラァァアッ!!

本人が挙げる長所:シンプルであること
本人が挙げる短所:たくさんある(回答になってない・・・)

元々とても内気でおとなしい性格であったため、10代の頃には評論家の間で
「ピルロは精神的な問題で才能を活かしきれずにキャリアを終えるのではないか」という懸念もあった。しかし数々の代表試合やオリンピックでの経験、結婚や移籍などを経て、心身共に逞しく成長。最近はかなり強気な発言も・・・。」
このピルロがPK指南「こうやれば絶対失敗しない」(→コチラ)の記事にあるように、
肉体的にも精神的にもとても男らしく成長した模様。アッパレアッパレ!

好きな食べ物:4種のチーズのパスタ
嫌いな食べ物:アーティチョーク(他に食べられないものは無いが唯一コレだけはダメらしい。)

アーティーチョークは、別名「カルチョーフィ」「チョウセンアザミ」とも呼び、春の野菜だそうデス。
一見どうやって食べるのか想像がつきマセンが、回りを剥いで天ぷらにしたり、
中の白い部分を煮込んだり、この形のまま料理の器にしたりと、食べ方は色々あるようデス。
味はタケノコのような感じで、ちょっとクセがあるのだとか。食べてみたいなぁ!?
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◆ワタクシが4種のチーズのパスタ作りに挑戦し、珍パスタを作った記事はコチラ(笑)◆
ピルロの大好きな「4種のチーズのパスタ」を作ろう!
http://sakasakasn.exblog.jp/5230785/



◆海外ピルロネットいろいろ◆
アンオフィシャルファンサイト
http://andreapirlo4ever.forumfree.net/
カワイくて綺麗なピルロファンフォーラム!簡単な登録でぴ萌えファンの方々とチャットでけマス!

中国のピルロファンサイト①
http://www.andreapirlocn.com/
"小皮"への愛が日々育まれてイマス。必見!
(ファンの方々が書いた私小説を観覧する時のみ会員IDが必要デス)

中国のピルロファンサイト②
http://tieba.baidu.com/f?ct=&tn=&rn=&pn=&lm=&sc=&kw=%C6%A4%B6%FB%C2%E5&rs2=0&myselectvalue=1&word=%C6%A4%B6%FB%C2%E5&tb=on
ポータルサイト"百度"内にあるファンフォーラム。

中国のピルロファンサイト③
http://cache.tianya.cn/publicforum/Content/funinfo/1/229213.shtml
ポータルサイト"天涯社区"内にあるファンフォーラム。フォーラム名は「睡神王子」w

ピルロでウホッ専用
ttp://community.livejournal.com/footballslash/tag/andrea+pirlo
お好きな方だけドゾー。イングランド中心、メイン言語はほぼ英語。(→サイト説明はコチラ

Andrea pirlo unofficial fansiteが英伊中の3ヶ国語対応なだけあってか、
各国のピルロファンサイトを結ぶネットワークはとても柔軟だと感じマス。
パイプ役をやってくだすってる方々に大感謝デスね!!
他にも色々ありマスので、興味のある方は検索してみてくだちい(((^ω^)ノ


◆ピルロ噂あれこれ◆
そんなピルロサイトあれこれを覗き見したら出てきた、ピルロに関する噂がコチラです。
情報源が「ネットのみ」というコトで、信憑性に関しては保証するコトが出来マセン。
が、少なくとも全くの眉唾ではないだろう、とワタクシが感じたモノを持ってきてみまシタ。
「こういう話もあるんだぁ」みたいな軽いスタンスでピルロワールドを楽しんでいただけたらと思いマシ。
(ついでに、そんなネットの海で情報を漁って、コレは本当かなあ?なんてあれこれ考えるのがワタクシの趣味だったりシマス(爆)地味な趣味・・(^ω^;))

◆ピルロ&ニコロ大泣き事件◆
http://sakasakasn.exblog.jp/5930299/

(この話はすでに、あちらではとてもポピュラーな話になっているように感じマシタ)

◆ピルロその他の事件
http://sakasakasn.exblog.jp/5914019/

(ピルロ家出事件に関してはソース記事をキープし忘れていたのデスが、後に発見いたしマシタ。
「ピルロ生涯の記録映画」のキャプチャー画像とともにドゾー(→コチラ) )

・ピルロがイタリアのスラム街について語った話がandreapirlo.com/forum/内のどこかにある。
・ピルロのおばあちゃんの具合がずっと良くないらしい・・・?
・全く顔が出てこないピルロママに関して、色んな憶測が流れたコトがあるとか・・・?
・2007年CWCの来日の際、サツマイモだの缶チューハイだのといったチン妙なデマが流れた。
などなど。。



◆契約◆
インテルからの移籍金は350億リラ(約21億円)、年俸は30億リラ(約1億8000万円)
2009年現在の年俸は400万ユーロ、契約は2011年6月まで。交渉代理人はトゥリッロ・ティンティ氏。ティンティ氏はインザーギとボネーラの代理人でもある。
ピルロは、2006年W杯優勝直後は「いつか心のクラブであるブレシアに帰るだろう」と語りマシタが、2008年は「出来ればミランで引退したい」「(契約は2011年でも)まだ若いから、もう一度契約を更新するだろうね」と語ってイマス。
インタビューなどで、できるだけ長くフットボーラーを続けたい、というコトを話してイマスね。
頑張りぇ~(^ω^)ノ


◆戦績◆
【プロデビュー】
1995年5月21日、16歳と2日、レッジーナ2対0ブレシア
セリエA初ゴールは1997年10月19日。ブレシア対ピアツェンツァ戦の後半11分。試合結果は4-0の快勝。

【クラブでの戦績】
01-02 夏のキャンプでアンチェロッティを虜に
02-03 ユベントスを破りUEFAチャンピオンズリーグ優勝・コッパイタリア優勝
03-04 スクデット獲得
04-05 リバポられ無冠
05-06 バルサられ無冠
2006夏 ドイツワールドカップ優勝
   (初戦・準決勝・決勝マンオブザマッチ(最優秀選手)、ブロンズボール賞受賞)
06-07 リバプールを破りUEFAチャンピオンズリーグ優勝
    UEFAスーパーカップ優勝(セビージャを破りマンオブザマッチに)・ついでにTIM杯も優勝
07-08 アナル掘られ無冠・・・いや、クラブワールドカップ獲得してマシタ・・・(笑)
08-09 栄えあるチャンピオンズリーグ出場権獲得!さすがだAC MUKAN!

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【所属クラブ/ゴール】
94-95 ブレシア 0
95-96 ブレシア 0
96-97 ブレシア 2
97-98 ブレシア 4
98-99 インテル 0
99-00 インテル 0
99夏 レッジーナ 6
00-01 インテル 0
01冬 ブレシア  0
01-02 ミラン  2
02-03 ミラン  9(内8PK)
03-04 ミラン  6
04-05 ミラン  4
05-06 ミラン  4
06-07 ミラン  3
07-08 ミラン  3(内1PK)
08-09 ミラン  1(内1PK) ゴール数が少ないデスが、2ヵ月間の負傷離脱が響きマシタ。

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【イタリア代表】
2002年9月7日・・・A代表初召集。アゼルバイジャン0-2イタリア戦(EURO2004予選/AWAYゲーム)
A2009年5月19日現在55キャップ、内主将8回
イタリアU-21の通算得点王(16得点)
U-21最多出場記録保持者(39試合)

1996年、ヴィアレッジョ国際ユース(プリマヴェーラ)トーナメントで優勝。
U-21欧州選手権は決勝でドッピエッタ(内1PK)を決め優勝。
インテル時代にシドニーオリンピック・イタリア代表の司令塔として出場。ベスト8入りを果たす。
(予選リーグは1位通過するものの準々決勝でスペインに敗退)
今のアズーリのピルロは、U-15の頃からキャップを重ねた英才教育の賜物(byWSM)らしい。

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【ピルロフリーキックゴールデータ 日付/所属/相手/結果】
1997年12月7日 ブレシア エンポリ戦 3対1
1998年4月29日 ブレシア ボローニャ戦 3対1
1999年2月9日 イタリアU-21 トルコU-21(親善試合) 4対0
1999年11月17日 イタリアU-21 フランスU-21欧州予選 2対1
2000年1月6日 レッジーナ ベローナ戦 1対1
2000年2月27日 レッジーナ レッチェ戦 2対1
2000年4月22日 レッジーナ ACミラン戦 1対2
2000年6月4日 イタリアU-21 チェコU-21(欧州予選) 2対1
2001年3月23日 イタリアU-21 ルーマニアU-21(欧州予選) 1対0
2002年3月31日 ACミラン パルマ戦 3対1
2002年10月21日 ACミラン アタランタ戦 4対1
2004年3月23日 ACミラン デポルティーボ戦(CL) 4対1
2004年5月30日 イタリア チュニジア戦(親善試合) 4対0
2004年9月29日 ACミラン セルティック戦(CL) 3対1
2005年3月26日 イタリア スコットランド戦(W杯予選) 2対0
2005年3月26日 イタリア スコットランド(W杯予選) 2対0
2005年10月29日 ACミラン ユベントス戦 3対1
2005年11月6日 ACミラン ウディネーゼ戦 5対1
2005年11月26日 ACミラン レッチェ戦 2対1
2005年12月6日 ACミラン シャルケ戦(CL) 3対2
2005年12月18日 ACミラン メッシーナ戦 4対0
2007年1月14日 ACミラン レッジーナ戦 3対1
2007年4月22日 ACミラン カリアリ戦 3対1
2007年9月19日 ACミラン ベンフィカ戦(CL) 2対1
2007年11月25日 ACミラン カリアリ 2対1
2007年10月13日 イタリア グルジア戦(Euro2008予選) 2対0
2007年12月23日 ACミラン インテル 2対1


◆呪われしキンタマ◆
ティエリ・アンリ「バロンドール?自分はピルロが受賞すると思っていた」
カルロ・アンチェロッティ「もしバロンドールをあげるなら、ピルロにあげたい。(W杯ドイツ大会で)ピルロほど活躍したMFはいなかった」
マルチェロ・リッピ「ピルロはバロンドールにふさわしい。チャンピオンズリーグに加え、ワールドカップまで取っているのだから」


と、おのおの方から大絶賛されているピルロたんデスが、押しの弱いキャラが災いしバロンドールには恵まれておりマセン。しかしよいのデス、それで良いのデス。ルイージパパは言いました。
「大事なのはバロンドールを取ることではない」と。(→コチラ
そしてピルロ自身も。。(→コチラ

金玉が無くても立派な男の子だYO!!!!
そう、ゲームを捌かせたら世界一!!!!!
世界最高のレジスタぴるろたん!!!!!!!

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◆アニュサイドストーリー◆
応援歌は『Can't take my eyes off of you(君の瞳に恋してる)』のサビの部分を
「Andrea Pirlo lalala...」と歌うもの。有名な歌デスね!
http://www.youtube.com/watch?v=3k85q9L8eJI

ピルロたんのゆっくりな、にゃらにゃらほにゃほにゃトロト~ロンとしゃべり!低い声!
http://www.youtube.com/watch?v=oh8lK2V4Z1M

「無口・無表情」の時と「おちゃらけイタズラっ子」の時のギャップが激しすぎて、
カカー様いわく「ミランに来て一番驚いたのが彼だよ。テレビで見た印象と全然違う」
更にバルツァーリ&ザッカルドのコンビにはその『二重人格ぷり』を暴露された(笑)
天使ピルロと小悪魔ピルロ
http://sakasakasn.exblog.jp/7033267

ピルロたんは自分のファッションをとてもイケてると思っているのでそっとしておいてあげましょう。
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◆おまけ◆
世界のピルラー紹介。ピルロが好きだと言ってくれてる選手さんたちを紹介シマス。
クズマノヴィッチ選手(フィオレンティーナ)
「僕のお手本はピルロなんです。彼はつねに正しいポジションにいて、どんな試合でも一本のキックで決められる才能を持っている。バロンドール候補になっても驚くことじゃない」
ヨアン・グルキュフ選手(ボルドー)
今季開幕前にACミランからボルドーにレンタル移籍入団したフランス代表のMFヨアン・グルキュフ(22)が、ACミラン時代の“マエストロ(師匠)”としてイタリア代表MFアンドレア・ピルロ(29)の名を挙げた。
仏誌“France Football”のインタビューに応じたグルキュフは「イタリアの練習はとてもハードだった。ピルロからは様々なことを学んだよ。ピルロはパスの精度が高く、試合の流れを読む能力に長けている。彼は足のいたる部分を使って正確なパスを供給できる。

ルカ・チガリーニ選手(パルマ)
ピルロやデルピ~に憧れていて、背番号が21。
ニコラ・グラン選手(フィオレンティーナ)
「ピルロこそがW杯で優勝した最大の要因だった」
パレイラ前セレソン監督
「リッピ監督率いるチームの中に、ブラジルのどの世界王者にも引けを取らない選手がいる。ピルロは非凡な選手だ。」
ドゥンガ現セレソン監督
(FIFA最優秀選手でピルロに投票したコトについて)「最もドゥンガに似ていて、最も過小評価されている選手を選んだ」

~Jリーグで頑張るピルラーさんたち~
中村憲剛選手、細貝萌選手、柴崎晃誠選手、鈴木修人選手、大道広幸選手、狩野健太選手、
石原卓選手、米山篤史選手、鈴木健児選手、鈴木智樹選手、岩沼俊介選手、宮沢正史選手、
六反勇治選手、斉藤大介選手、北村 隆二選手、などの方々デス!
あと、スコットランドリーグの中村俊輔選手、選手じゃないけどウイリー宮原さん。
みなさん頑張ってクダサイ!(^ω^)ノシ


            ***

このまとめは、ピルロファンサイトの「□□ P I R L O - I S M □□」 さん、
バッジョファンサイトの「TUTTO BAGGIO」さん、
中国のピルロフォーラム「睡神王子」さんを参考にさせていただきました。
大変役にたちました、どうもありがとうございました!

by sakasakasakaa | 2007-07-23 16:30 | ★まとめピルロん


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